今日までの軌跡
藤原養蜂場は初代藤原誠祐が業として創業したわけであるが、実は誠祐の父が養蜂を副業としていたという記述が残っている。
父、徳松は明治11年(1878年)頃日本蜜蜂を一群捕獲。しばらくして、十群から二十群飼養。日本式採蜜を行って、三十有余年養蜂をしていた。東北養蜂界の元祖であり、藤原養蜂場と名乗った由因である。私(誠祐)はそのような家庭にあり、ミツバチが大好きで7歳(満6歳)の時に父から一群もらって飼養を始めた。
あの小さな昆虫は毎日毎日出ては帰り、帰っては行き、山野や畑の花から花へと働き、巣は六角形の白色なるものを造り、その中に蜜を貯め、子を育て、敵を防ぐやら、実に秩序ある、一種の社会組織ともいうべきを、毎日見るや、私は幼いといえども、養蜂に魅せられ、たちまち群数が増えた。
毎年秋一回の採蜜、十数箱の内、4、5群を残し、他は蜂もろともに採取し、蜜は市中、または北海道へ販売出荷し、副業ながら多額の利益を得た。
藤原養蜂場「養蜂手引草」大正六年三月十日 第七版發行 「藤原養蜂場の来歴と営業」の一部を要約
こうして、明治34年(1901年)、「藤原養蜂場」を名乗るようになったと思われる。
明治42年(1909年)には西洋みつばちの飼養にも着手し、以後品種改良の研究を重ね、東北の気候に適する品種を創出した。東北のみならず、日本の養蜂における功績は非常に大きく、昭和54年(1979年)、勲五等瑞宝章を受章した。
ミツバチの社会組織に魅せられた誠祐であったが、その研究を進める中で産物である蜂蜜のでき具合にも傾注したと思われる。特に養蜂場を各地に求めて探し、その中で、飼養したミツバチが採ってくる蜂蜜の違いやでき具合で藤原養蜂場支場を設置し、現在も飼養している早池峰山麓では質の良い蜂蜜が採れると記載している
満6歳から始め、天寿を全うするまで90年に渡り、現役で養蜂を続けた誠祐だからこそ、真の蜂蜜をミツバチと共に生産できたと思われる。本当に美味しい、求められている品質を知り尽くした藤原養蜂場はその伝統を受け継ぎ、今日に至っている。(文責:藤原 喜子)
沿革
1899年 (明治32年) | 藤原誠祐(7歳時)、父 徳松に、日本種ミツバチを一群もらい受け、飼育をはじめる。 |
1901年 (明治34年) | 盛岡市内、北海道で蜂蜜を販売し、藤原養蜂場と名乗る。 |
1905年 (明治38年) | 創作巣箱や器具を使い本格飼育に着手、研究を重ねる。 |
1909年 (明治42年) | 日本種ミツバチから西洋種ミツバチに切り換え、集蜜力向上に成功する。 |
1911年 (明治44年) | 誠祐18歳にて、東北初の専業養蜂家となる。 著書「養蜂手引草」を創刊(年刊)、各地で講習会を開催し、実施指導にあたり、冷害、凶作が続く折、作物の結実と農家副業としての養蜂の有望性を示す。 |
1912年 (大正元年) | 岩手県農会による岩手県養蜂協会を設立。初代協会長となり、以後15年間会長を務める。 |
1918年 (大正7年) | 昭和天皇が皇太子時、御来盛の折に盛岡名産品として藤原の蜂蜜が献上される。 集蜜力と耐寒、耐病性を備えたカーニオラン種とイタリアン種ミツバチを交配育成し、東北一帯に普及させる。 2万群以上譲渡し、以後東北のほぼ全てがこの蜂種となる。 |
(大正末期) | 蜂の巣の基となる巣礎の品質向上のため、薄物巣礎を開発する。 |
1932年 (昭和7年) | 転地養蜂で静岡方面に進出。また中国への種蜂輸出を開始。当時の中国は前近代的養蜂であった。 |
1935年 (昭和10年) | 朝鮮半島へソバ蜂蜜の輸出を開始する。当時、ソバの蜂蜜は薬用として重宝された。 戦時中、砂糖不足の折、蜂蜜は国の重要資源となる。 |
1948年 (昭和23年) | 誠祐の長男、誠市が養蜂に加わり、転地養蜂で千葉県房総半島に進出。 また誠市は、蜂蜜の多角利用としてアイスクリーム、ケーキ等に蜂蜜を加え、大評判を得る。 |
1950年 (昭和25年) | 誠祐、岩手県養蜂組合を有志と共に設立。初代組合長となり、以後20年在任する。 |
1977年 (昭和52年) | 藤原養蜂場本店、新社屋完成。 |
1978年 (昭和53年) | 誠市二男、誠太が東京農業大学在学中、北南米で現地の養蜂を1年間研究する。 誠市、盛岡市観光協会の副会長に就任。現在の公益財団法人盛岡観光コンベンション協会副理事長を約30年間務める。 |
1979年 (昭和54年) | 誠祐、勲五等瑞宝章を受章。 |
1986年 (昭和61年) | 誠祐、盛岡市市勢功労者表彰を受ける。 |
1987年 (昭和62年) | 誠祐、享年95歳にて天寿。誠市が二代目となる。 |
1988年 (昭和63年) | 藤原養蜂場本店の隣に蜂蜜アイスクリーム専門店「ジェラートワン」オープン。 |
1989年 (平成元年) | 誠太、日本在来種ミツバチ保護のため「日本在来種みつばちの会」を設立し、会長に就任。 |
1990年 (平成2年) | 誠市、藍綬褒章受章。 誠太、日本在来種ミツバチの空中交尾場所を初めて確認する。 |
1993年 (平成5年) | 誠太、日本在来種ミツバチの保護・研究活動により農林水産大臣賞等を受賞。 |
1998年 (平成10年) | 平成天皇が三陸博植樹祭の折、弊社の栃の蜂蜜に目をとめられ、説明を求められた上3本ご購入。 |
1999年 (平成11年) | 弊社企画の樹上完熟の紅玉りんごを平成天皇に献上。 |
2000年 (平成12年) | 誠市、岩手県養蜂組合の組合長に就任し、平成20年3月まで務める。 |
2001年 (平成13年) | 藤原養蜂場100周年。 |
2005年 (平成17年) | 誠市、社団法人日本養蜂はちみつ協会の理事に就任し、平成20年度まで務める。 誠太、東京農業大学客員教授就任。 |
2006年 (平成18年) | 誠太、日本種ミツバチ用人工巣と日本種ミツバチ用可動式巣箱を開発。 |
2010年 (平成22年) | 誠太、公益社団法人大日本農会緑白綬有功章〈畜産部門)受章。 |
2011年 (平成23年) | 藤原養蜂場110周年記念式典挙行。 東日本大震災、発生。 誠市の長男、誠徳(中小企業診断士、岩手銀行OB)が経営に参画。 |
2016年 (平成28年) | 誠市、盛岡市市勢功労者表彰を受ける。 |
2019年 (令和元年) | 誠徳、藤原養蜂場を運営する(有)藤原アイスクリーム工場 代表取締役社長に就任。 |
2021年 (令和3年) | 藤原養蜂場120周年。 「ウルモの木の蜂蜜」(南米チリ産)の輸入販売開始。 「藤原養蜂場」の名称が特許庁により商標登録される。 |
2023年 (令和5年) | 盛岡市の若園町から加賀野へ移転し、社名を「有限会社 藤原養蜂場」に変更。 |